ボランティアって

ボランティアってふしぎ。

わたしは、ここでの仕事をやりたいからやってる。
やりたいってのはどういう意味かというと、
あ~~遊びたい~~とか、あ~~寝たい~~とか、ゆっくりした~いとか、
そういう娯楽とか休息とか、そういうことを欲する気持ちとは少し違っていて、

これこれこうこう分析した結果、これこれこういうことが必要だと考えられるため、
ここでは、これこれこういうことをやるべき、だからやってみたい! という感じで思ってもらえるといい。

なんていうか、好奇心がくすぐられているんでしょうね。
大きな仮説検証みたいな、当事者からすればそんな実験みたいな捉え方されてても失礼なんだろうけど。
でも、わたしは間違いなくこんな欲求をもっています。

ボランティアをしている人にもいろんな人がいて、
もちろん純粋に相手のことだけを思っている人だってたくさんいるんだと思う。
でも、特に途上国でのボランティアほとんどに当てはまると思うのが、「これが必要だと考えられるから、実際にやってみよう」ってやつ、だと思う。

この「必要だと考えられる」っていうのは、様々な分析とか検証とかによって導き出された結果なんだろうけど、ここに当事者である現地の人の思いを含むのがほんっとーーーーーに難しいところなんだと最近はよく思う。

ここからのことは多少の失礼を承知で書く。
ここに出てくる現地の人っていうのは満足な教育を受けてない場合が多い。
国によって状況は多少異なると思うけど、結構な役職について仕事をしている人ですらそうであると感じることが多々ある。
生まれも育ちも先進国で、大学まで十分な教育を受けてきたわたしからみると、あれ?と思うことがよくあるのだ。明らかにわたしのほうが幼かったとしてもである。

具体的にいうと、わたしには簡単に予想できることが、なかなかできなかったりする。
簡単な計算ができなかったりする。
大切なスケジュールを忘れちゃったりする。(これって約束事だけじゃなくて、定期的に計測していくプロジェクトとかだとプロジェクトの存続自体に関わってくる大事なこと)

もちろん、お国柄と言ってしまえばそこまでなのだが、それにしても度が過ぎているのが途上国あるある。
もしこの国の将来を本気で案じ、本気で改善していこうと考えるならば、その調子では到底無理。

さあそこで登場するのが、先進国からきた外国人である。
彼らは問題を細かく分析し、それに対する策を立てる。そして綿密に計画して実行しようとする。
今回、わたしのような、しがない”ボランティア”に的をしぼって話をすると、それによって外国人の誰が得をするわけでもない。
すべてはこの国の将来のために、と思っていろいろと考えるわけである。

でも、この国の人は、外国人が考えた策を必要と思えない。
説明されてなんとなくまるめこまれることもあるんだろうけど、心から必要だと感じることができない。
だって、それまでの問題の分析も、プロジェクトの立案も、何ひとつ心から理解できないからである。

ひょっとしてこの国の人は、このまま何もせず今までどおりに生きていくほうがいいと思ってるのかもしれない。
別に何も向上しなかったとしても、問題が解決されなかったとしても。
外国人がいうように新しいことを始めて、今までのやり方では通らないことが増えて、なんだ~ちょっとめんどくさいな~ってことが出てくるより。

この”必要だ”と感じる気持ちの温度差が、ときたま大きく感じられる。
こうしたらいいっていうアイデアは溢れてくるけど、それをどうやってこっちの人の思いにすり合わせていくか。
どうやってこの国の人に理解してもらうか。

うまい答えは出ずに、すっきりすることはないまま帰ることになるのかもしれないけど、今は今できることをやってみます。
by cpts-romi | 2015-04-01 18:43 | つぶやき
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